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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9436号 判決

原告 正孝製版有限会社

右代表者代表取締役 本多二郎

〈ほか三名〉

右原告四名訴訟代理人弁護士 井上恵文

同 植西剛史

同 大嶋芳樹

被告 東京都

右代表者知事 美濃部亮吉

右指定代理人 浦田光雄

〈ほか三名〉

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一申立

(原告らの請求の趣旨)

被告は、原告正孝製版有限会社に対し金二三四万八八四三円、原告保戸塚由七に対し金八万五九〇〇円、原告保戸塚孝之助に対し金九二五〇円、原告堀内たかに対し金二五〇〇円および右各金員に対する昭和四五年一〇月八日以降完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

(被告の答弁)

主文第一、二項同旨の判決を求める。

第二主張

(請求原因)

一  事件の発生

(一) 訴外慎鏞善(通称真山健次)は、昭和四五年四月四日午後四時頃東京都練馬区中村北三丁目二番地所在の原告会社の工場に赴き、原告会社の従業員訴外保戸塚正男に対し、自己が同訴外人に貸付けた金七〇万円の担保として同工場内に設置してあった製版機械類を譲受けたので、これを受取っていく旨申し向け、伴ってきた約九名の人夫風の男を指揮して右機械類を待たせてあったトラックに積み込もうとした。訴外保戸塚正男は、これを拒否したが、訴外慎らが右拒否を無視して実力で搬出しようとしたので、一一〇番に電話して警察官の派遣を要請した。

(二) 右電話要請に応じて、被告の職員である警視庁練馬警察署所属警察官鵜飼甚作、同川端実、同鈴木利男の三名が現場へ赴いたため、訴外保戸塚正男は右警察官らに対し訴外慎らの搬出行為を制止するよう求めた。ところが、右三名の警察官は、何らの処置もとらずに訴外慎らの行為を容認し、そのままその場を引き上げてしまった。そのため、訴外慎らは勢いを得て、結局別紙物件目録(一)ないし(四)記載の物件を搬出して持ち去ってしまった。

二  被告の責任

訴外慎らの右各物件の搬出行為は、強盗ないし窃盗に該当するものというべきところ、警察官は、警察官職務執行法第五条により、犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは、これを制止する職務上の義務を負うものであるから、前記川端ら三名の警察官は訴外慎らの行為を制止すべき義務があったのである。しかるに、右三名の警察官は前記のように故意または過失により、右職務上の義務を懈怠したものである。したがって、被告は国家賠償法第一条第一項、第三条第一項に基づき、右警察官らの義務懈怠により原告らに生じた損害を賠償すべき責任がある。

三  原告らの損害

(一) 原告会社

1 所有権侵害による損害    一二二万九八二五円

原告会社は、その所有にかかる別紙物件目録(一)記載の物件を、訴外慎に持ち去られ、その返還を受けることができない。右物件の価額は同目録(一)記載のとおり合計一二二万九八二五円(取得価額の二分の一)が相当である。

2 得べかりし利益および損失 合計六一万九〇一八円

原告会社は、訴外慎の機械類搬出により工場の作業ができず、昭和四五年四月および五月の二ヶ月間において、得られるはずであった利益月平均一二万一五〇三円の二ヶ月分二四万三〇〇六円を得られなかったばかりか、給料等諸経費の支出が収入を上まわって三七万六〇一二円の赤字が生じ、右の合計六一万九〇一八円の損害を蒙った。

3 営業上の信用失墜に対する補償     五〇万円

原告会社は訴外慎の行為により多大の営業上の信用を失ったが、これを金銭に見積ると五〇万円が相当である。

(二) その余の原告ら

原告保戸塚由七 八万五九〇〇円

原告保戸塚孝之助 九二五〇円

原告堀内たか 二五〇〇円

右原告らはそれぞれ、その所有にかかる別紙物件目録(二)ないし(四)記載の物件を訴外慎に持ち去られ、その返還を受けることができない。右物件の価額は同目録(二)ないし(四)のとおりである(取得価額の二分の一)。

四  結論

よって、原告らは被告に対し、請求の趣旨記載のとおりの金員およびこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和四五年一〇月八日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(請求原因に対する被告の答弁)

一  第一項(一)については、訴外保戸塚正男が搬出を拒否したことは知らないが、その余の事実は認める。

二  同項(二)については、三名の警察官が右訴外人から訴外慎の搬出行為を制止するよう求められたのに何らの処置もとらずに訴外慎らの搬出行為を容認したことは否認し、訴外慎らが搬出したことは知らないが、その余の事実は認める。

三  第二項の主張は争う。

四  第三項の事実は、いずれも知らない。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因第一項(一)の事実(訴外保戸塚正男が搬出を拒否した事実を除く。)および同項(二)冒頭掲記のとおり警察官三名が右(一)掲記の現場へ赴いた事実は、当事者間に争いがない。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実を認めることができる。すなわち、

右のとおり本件現場へ赴いた警察官三名の内まず最初にかけつけたのは、折からパトロールカーで警邏中に警視庁からの無線連絡を受けた川端、鵜飼の両警察官であったが、同人らが到着した時、右工場では真山こと慎鏞善が数人の男を指揮して同工場内にあった印刷機械等を搬出しているところであった。そして、すでに二、三台の機械をトラックに積込み終わっていた。川端は、到着後すぐに工場脇の建物の二階にいた保戸塚正男から事情を聴取したところ、同人から機械の搬出を制止してほしい旨要請されたので、階下に降り、作業をしていた男達に搬出行為を中止するよう呼びかけた。右作業員らは、右川端の要求に対しすぐには応じなかったが、同人が逮捕することもある旨警告したため、ようやく作業を中止した。

その後まもなく、交番で前記警視庁からの無線連絡を聞いた練馬警察署の警察官鈴木和男が、同僚の大石とともに現場にかけつけたので、川端は右鈴木に対し、慎が機械類を搬出しようとするのを二階にいる保戸塚が止めてくれるよう要求しているので、搬出を一応中止させてある旨の報告をした。そこで、右鈴木は、さらに詳しい事情を聴くべく、慎に対し搬出する理由を尋ねたところ、慎は工場の機械類等の売渡証を示し、同人が買受けたものであるから持っていく旨申し立てた。次いで鈴木が、右売渡証を持って二階にあがり、保戸塚から事情を聴いたところ、保戸塚は、右売渡証は同人が書いたもので、機械類は同人のものであるが、売買代金の五〇万円は実際は借受けたもので、現実にこれを使った人は他にいるので、その人を呼んで話合をしたいから搬出を制止してほしい旨を述べた。そこで、鈴木が保戸塚に金を使った人を呼ぶよう告げ、保戸塚が電話をかけたが通じなかったので、鈴木は、慎と話合をさせるべく保戸塚を伴って階下におりてきた。この頃になって、前記川端は事件の処理を鈴木に引継ぎして、鵜飼とともにパトロールカーで現場を立ち去った。

階下におりた後、鈴木は慎に対し、保戸塚が話合を希望している旨を告げて話合で解決するよう勧告したところ、慎も特に異存がないように見えたので、両者の話合がなされるものと判断した。そこで、暴行、脅迫等の刑事事件を起こさないよう注意を与え、練馬署の防犯係で相談に応じているから、そこに相談する方法もあることを告げ、保戸塚に対し帰る旨申出たところ、保戸塚が特別何の要求もせずにこれを承知したので、現場を立ち去った。

ところが、鈴木が去った後、慎はすぐに搬出行為を再開し、別紙目録(一)ないし(四)記載の物件を持ち去ってしまった。

以上の事実を認めることができ(る。)。≪証拠判断省略≫

二  以上の認定事実に基づいて、原告会社の工場に赴いた警察官川端および鈴木に、原告主張のような警察官職務執行法第五条の義務の懈怠があったか否かを判断することとしよう。

一般に、本件のように、現場における当事者からの事情聴取によって、根底に売買目的物に関する民事の紛争が存することが判明した場合には、警察法第二条第二項の法意に照らし、警察官職務法第五条に基づく警察官の介入は、謙抑であることが要請される。けだし、売買目的物の所有権の帰属はしばしば困難な法律問題を伴うのであるから、軽々に一方当事者の行為を犯罪視して制止することは、かえって個人財産の保護を奪う不当な干渉となることも十分ありうることだからである。

この点を念頭におきつつ、前判示の事実関係をみると、警察官川端は、現場到着後保戸塚正男から搬出行為の制止を要請され、直ちに作業員に対し逮捕することもある旨の警告を発してまで作業を中止させており、その後処理を引継いだ警察官鈴木は、民事上の紛争である旨の認識のもとに、保戸塚と慎の両者に話合で解決するよう勧告し、両者の話合がなされ、実力を行使して搬出するような状況にはなくなったと判断して現場を離れたもので、前判示の経緯からみて右のように判断したのは無理もないところである。そうすると、警察官川端および鈴木が現場においてとった行動は、前記法条が警察官に期待した職責を一応果していたものといえる。

原告らの立場からすれば、警察官らが立ち去って後、搬出行為が再開され、物件が持ち去られたことは甚だあきたりぬことであって、警察官の臨場は右の搬出をほんのしばらく遅らせたに過ぎぬ結果となったため、警察官がまるで何もしないで、慎の自力救済行為を是認したかのようにいいたくもなるのであろうが、この場合搬出がなされないように処置することを要求するのは結局、人夫を解散させるとか慎を逮捕するとかの積極的行為を臨場した警察官に期待することに帰する。しかしながら、右警察官が仮に慎をいきなり逮捕したとすれば、右逮捕は、違法とまでは評価できないとしても、前認定の事実関係に徴して少なくとも不当逮捕であるとのそしりを免れ得ないであろう。また、警察官に対し慎らを実力でその場から立ち去らせる行為を要求することも、民事上の紛争は当事者間の話合で解決されることが望ましく、これに対する警察権の介入は前記のとおり謙抑であることが要請されるのであるから、話合が全く期待できず実力行使による自力救済行為が予想される場合であればともかく、本件のような場合にはかえって穏当を欠く結果となりかねないのである。

以上判示のとおりであって、警察官川端および鈴木には原告主張のような職務上の義務の懈怠は認められない。

三  よって、原告らの本訴請求はその余の争点について判断を加えるまでもなく失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 奥平守男 相良朋紀)

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